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井本史夫

井本史夫(いもと ふみお)
横浜市青葉区にある井本動物病院の院長先生。1945年、兵庫県三木市生まれで、帯広畜産大学卒。3歳よりネコと寝起きを共にし、小学生から中学生のころの泳ぎ相手はイヌ。 大学時代はアパートでウサギを飼育、研究室ではニワトリの世話をし、走っているウマの応援が好きな虎ファンと、まさに動物づくしの人生を送っている。著書に「集合住宅でペットと暮らしたい」(集英社)「間違いだらけの室内犬選び・育て方」(講談社)など。
井本動物病院HP
http://imoto-ahp.com/

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2010年3月

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トワイライトゾーンの猫

仕事場のすぐそばの道路です。

写真をよ~~く見ていただくと

橋の上に、白い点が・・・・猫です。

しかし、その橋のそばを通る道路には、横断歩道がありません。

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橋には、柵までついていて、まるで橋を通らせないようにしているようです。

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・・・・・猫は、そんなことにお構いなしで、橋の上で日向ぼっこしています。

ナンダ、そのカッコーは

年末も迫ってくると、正月の準備を始めなくてはいけません。

ミナサマ、お節料理の準備はいかがでしょうか。

ワタクシ、まったくと言ってよいほど、好き嫌いはないのですが、

目の前にして、口の中に入れなかった食べ物がひとつだけあります。

その名は「チョロギ」

赤くしてお節料理にも入れるそうですが、ワタクシの実家ではお目にかからなかったです。

彩で、黒豆にも入れるそうですが・・・。

だいたい、あの恰好からして、ふざけてますよね。

見方によっては○●コみたい。

その上、名前がチョロギ・・・。

縁起をかついで「長老木」「長老喜」「長老貴」「千代呂木」などと書くこともあるそうですが。

以前にも、この話題をお正月前に取り上げたかもしれませんが、それだけ、ワタクシの中では、食べたこともないのに頭の中を占拠されている食べ物です。

猫、積み木、絵本の巻

落語の三題噺じゃありません。

うんと幼いころから小学校の1〜2年までの、ワタクシの三大関心事です。

朝の起床は、猫が頭や顔をなめてくれるのでスッキリ起きていましたし、寝るときは、猫が隣にいるので安心して眠りました。寝付きもよかったです。

ワタクシがよその家に遊びに行く時も、途中まで見送りに来てくれましたし、帰りの迎えも同じ場所に待っていました。

家にいるときは、どこかで捕ってきたセミやカナブンを、ワタクシのいるところに持ってきて、手でちょいちょいと動かして、ワタクシが同じようにするのを見ていました。

ときどきは、持ってくる動物が、スズメやヘビになりましたが。




子どもの頃、猫になりたかったの巻

catと並んでこたつから首を出していると、よく親父に「猫になってしまうぞ」と言われました。

そう、子どもの頃、ほんとは、ワタクシは猫になりたかったんです。

猫になれないならば、せめて猫人間でもよかったんです。


でも、「将来何になりたいか」なんてオトナの質問に、「猫になりたい」とか

「猫がダメなら、猫人間になります」なんて言えませんでしょう。

言ったとしても「そうか、がんばって猫になるんだよ」というおとなはいませんからね。


だから、小学生のときは「史学者」中学に入ると「船医」と答えることにしました。

なぜって。

小学校の低学年のときに、ワタクシが育った町の古文書を調べるために、大学の史学の先生がワタクシの家で長く寝泊まりしていたのですが、

その先生、ワタクシが小学校から帰ってきたとき、いつも、昼寝をしていた印象があるのです。・・・・で、史学者ならいつも猫のように昼寝ができるぞって思ったんですね。

船医もヒマそうでしょ。船員さんって健康そうですし、健康なら船医はヒマだろうし・・・・。

掘りごたつから首を出すの巻

ワタクシが育った家にはちょいと大きめの掘りごたつがありました。

一辺に、大人がふたり入れるくらいの。

熱源は、電気コンロ。

コイルが中心に向かってグルグル巻いてある、あの電気コンロです。

親父が、電気大好き人間でしたから。

足の置場は、木で格子に状作ってありましたが、足を不用意に伸ばしても、コンロに届かないように、防御用の網が置いてありました。

顔だけ外に出して、首から下はこたつの中。お尻を熱源にあててホカホカしながら、ウトウト昼寝sleepy てなことをよくやっていました。

隣には、猫catがいて・・・。

猫は、人が足を置くところでも寝ていましたね。

そのころの熱源でよくつかわれていたのは練炭ですが、一酸化炭素中毒の危険性がありましたが、我が家ではその心配はありませんでした。

あの、ホカホカ感は、背中とお尻に残っています。