ここに書こうかどうしようか、ずいぶん迷いましたが、思い切って書きますね。
私の大学時代の話です。
大学時代に山岳部だったということは、前に書いたことがありますね。
あれは4年生の晩秋のことですから、昭和43年の11月だったと思います。
獣医師の国家試験の勉強もなかなか進まず、気分転換に、山登りにでかけました。
然別湖(しかりべつこ)ってご存じですか。東大雪にあるのですが、その湖の入り口にふたつの山があります。東ヌプカウシヌプリと西ヌプカウシヌプリです。
そこにいくと十勝平野を大きく展望でき、気分転換をするにはちょうどよいと思ったのです。どちらの山にも道はありませんが、雪でクマザサのブッシュこぎも酷くないはずで、なんといってもそのころのヌプカウシは、羆のあまりでないところでしたから、気楽な山行をするにはうってつけと考えたのです。
天候は晴れで、西ヌプカウシヌプリを登りました。山行は順調でしたが、途中で昼寝したのがたたり、タッチの差で帰りのバスに乗り遅れたのです。然別湖・帯広間のバスは、一日に朝夕2本しかないのです。帯広に帰るためには、17〜8km離れた麓の鹿追(しかおい)にまで歩いて行くしかありません。北海道のまっすぐな道をトボトボ歩くことになります。
晩秋ですから、日は早く暮れていきます。最終人家に着く頃には、すっかり陽は落ちて、夜の闇が私の周りをとりかこんでいました。北海道の農家は数kmおきにあるので、めったに灯をみることはありません。急ぎ足で歩いていますから、寒くはありませんが、独りで細長い道を歩くのは、なにもなくてもちょっと気を張っているものです。
ふと気がつくと、ずーっと向こうの木立の中に灯が見えます。農家とは違う光りです。そういえば、いつの間にか、歩いている道路に沿って線路が続いています。
あー、拓鉄かと思いました。北海道拓殖鉄道です。砂利道を歩くより、線路を歩く方がよほど楽だし、時間を考えても、そろそろ、鹿追の手前の瓜幕(うりまく)にもうすぐ着くころです。さっき見えた灯りは瓜幕駅の灯りかなと思いながら道を急ぎました。
線路の先は、やはり瓜幕駅の駅舎でした。しかし、灯りはいつの間にか消えていました。駅舎の中に入って、時刻表をみると最終列車はもう行った後でした。覚悟はしていましたが、ちょっとがっかりです。
「仕方ないなあ、腹も減ったし、メシでも喰って今日はここで寝るか」
例え一日の山行きでも、非常食は何食か持っていますし、寝袋も持って歩きます。駅舎の中は、風も来ないので、泊まるには十分です。
さっそくラジウスに火を起こし、インスタントラーメンを作って食べました。食べ終わり、体が暖かくなってきました。寝袋の中に入ってると、いつの間にか寝てしまいました。
翌朝、「兄さん、兄さん」という声で眼が覚めました。オジサンが顔を覗かしています。
「こんなとこでなにしてんだ?」
「エッ、鹿追まで行くのに疲れたんで、駅舎を借りて休ませてもらいました」といいながら、ふと周りを見渡すと、そこはコンクリートの欠けた土台があるだけで駅舎はありません。いそいで立ち上がって昨夜歩いた線路を見ると、枕木だけが横たわり、雑草がずーっと遠くまでまっすぐに生えているだけの、線路跡でした。
「ここ、拓鉄の・・・」
「そんだけんど、ずいぶん前に廃線になって、線路も取っ払って、駅舎もぜんぶぶっ壊したよ。鹿追から新得の間だって、この夏に廃線になったべさ」
北海道拓殖鉄道 写真は、十勝平野ですが、瓜幕付近ではありません。新得付近です。
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